ここ数年は自分自身は全く変化の無い生活を送ってきたのだけれど、それでも家族は急激に老いていくし、人は変化せずには居られないのだな、と実感するに至った。
今までは変化するとかしないとか、殆ど考えたことは無かったけど、身近な人が、どうしようもなく変わっていくのを目の前にしては、気づかざるをえなかったのだろう。
そう考えるようになってしまえば、割と無駄な現状維持というものを見つめることが出来る。
何もしないことは、大きな後退だと理解できるようになったのだ。
こんな確信を持てたのには、もう一つ理由がある。
土門拳の写真展を見ていたとき、学校に弁当を持ってこれない子供が決して食べてる子供たちの方を向かないように雑誌を読んでいる写真があった。
弁当を持ってこれない子供たちにとってお昼に弁当を食べられることが、その時もっとも望ましい改善だっただろう。いまでは、それを国の制度によって、それは改善された。しかし、今の学校にはさらに別の改善が求められている筈だ。よりよい教育環境を求めれば、問題の質も対策のとり方も変わってくる。それは当然の事なのだ。繰り返しになるけれど、順当に問題を解決していけば、昔のような問題も無くなっていくし新しい問題には新しい捉え方が必要になるだろう。変化を受け入れないことには目の前にある問題は解決できないのだ。
変化を受け入れるということは、どこにでも行って誰にでも会えるということなのではないかと思っているけれど、それが本当なのかは、これから分かる。